本を読むことで、なにを得ることができるのか?という疑問について。
きっかけは先日、ボルヘスの「エル・アレフ」を読んでいたとき。
なんとなく既視感を感じながらも本を読み進めてゆき、全体の半分ぐらいまで読み進めて確信する。
「この本、前に読んだことあるやつだ。」
同じ本をまた読んでしまった事に対して、特に苛立ちはありません。
前に読んだことがある本だと気づかない程度に自分の記憶力がポンコツなのは認識しているので、「またか、まぁしょうがないな。」ぐらいの感想。
ただそのときふと、浮かび上がってきた疑問に動揺する。
自分は本を読むことで、いったいなにを得ているのだろうか?
本の内容を記憶していないのであれば、一体何が自分の中に残っているのか?
ビジネス本で即効性のあるノウハウや思考方法を学ぶならまだしも、幅広く本を読む目的がなんなのか分からなくなってしまいました。
- 今まで自分が読んできた本の数々は無駄だったのか?
- 自分が今までやってきた読書は、ただの暇つぶしだったのか?
- 小説や詩のような文学作品を読むことは無駄なことなのか?
これまで読書に費やしてきた時間・お金・労力を否定することは受け入れがたく、自分が本を読んでいる理由について考察を開始。
もっともらしい理由を思いつき、悪くない着地点が見つかったことに満足しています。
心に響く表現の獲得
美しい文章、かっこいい言い回し、気の利いたフレーズ。
自分の頭にずっと残る、心に響く素敵な表現に出会うという体験。
すぐれた言葉、すばらしい表現を享受することは読書の醍醐味のひとつ。
たとえ本の内容は色褪せようとも、自分の心に響いた表現は残り続けるものです。
読書を通して、言葉や表現を自分の中に消化することは大きな意味があります。
本を読んで心に残る言い回しをひとつでも見つけたのであれば、その本を読んだ価値は十分にあったと言えるのではないでしょうか。
カミュの「異邦人」を大学生のときに読みましたが、今では内容の詳細は覚えていません。
それでも「太陽が眩しかったから」という一節は、今でも鮮明に覚えています。
さまざまな物語の獲得
短い人生のなかで経験できることは限られていますが、読書体験を通じて色んな物語を経験することが可能になります。
場所・時代・環境を超えた物語を知ることができるのは、読書ならではの体験。
本の物語を通して、空気感や感情を味わうことはこの上なく楽しいことです。
映画などの動画であっても物語を体験することは可能ですが、本には自分の想像力を能動的に働かせて物語をつくってゆく楽しさがあります。
自分の想像力が創りだす物語のちからは、きっと自分の糧になっています。
多彩な感情の獲得
優れた文学作品は、心を激しく揺さぶります。
琴線に触れる表現、せつない物語を読んで感じた気持ち。
本を通して獲得した感情は、ずっと自分の中に残りつづけます。
言葉や内容は忘れても、自分が感じた気持ちは心にずっと残ることがあります。
冒頭に紹介したボルヘスの「エル・アレフ」に収録されている、「もうひとつの死」という短編作品。
この作品の最後の一節を読んだときの感情を思い出して、この本を以前に自分が読んだことがあると思い出しました。
哀れなダミアン!死が彼を二十年前の知られざる悲しい戦争と内乱の最中へと連れ戻した。しかし、そのおかげで心から待ち望んでいたものを手に入れたのだ。それを手に入れるまでに長い歳月を要したが、おそらくそれ以上の幸せはないだろう。
なぜ、この一節が自分の中に残っているのかは分かりません。
前になにを考えてこの一節を読んでいたのかも覚えていませんが、むかし感じた気持ちを思い出すのは悪くない気分でした。
まとめ
本を読むのは楽しいことです。
読書を通じて、未知の感情・表現・物語を体験することができます。
優れた本に出会うことで、自分の人生の幅をひろげることができます。
本を読むのは無駄じゃなかったと結論づけられたので、みなさんもどんどん読書しましょう。